もし歴史を超えたニュースがあったら
信長氏襲われる クーデターか?
安土・桃山時代のニュースです。
きょう早朝、京都市の本能寺で、
前右大臣の織田信長氏が何者かに襲われました。
滞在先の本能寺では火災が発生し、現在も燃えているということです。
関係筋はクーデターの可能性もふくめて情報収集に追われています。
織田信長氏は甲州の武田勝頼氏との戦を勝利で飾るなど向かうところ敵なしで、
近々朝廷から太政大臣に推挙されるのではないかと噂されていました。
最新の情報によると、信長氏の行方は分かっておらず、
秘書の森蘭丸氏も行方不明だということです。
信長氏は側近で中国出張中の羽柴秀吉氏の依頼を受け
中国・九州侵攻に向けた準備中をしていましたが、
周辺では、重役の滝川氏と丹羽氏が関東に、
柴田勝家氏が上杉氏への対応に追われていたことで
警備が手薄になっていました。
一方、近畿地区を任され
信長氏の信頼の厚い明智光秀氏が動静を明らかにしておらず、
信長氏の安否情報も握っているのではないかとの見方もあり
動向が注目されます。
(了)
蒙古の軍船、台風に沈む。天気を甘く見たか~鎌倉時代~
脅威は去ったとみられます。
日本侵略を目指し
七年ぶりに九州に襲来した蒙古の大船団が
台風で壊滅的被害を受けました。
蒙古軍は前回をはるかに上回る
軍船四千四百艘、十五万人余りの大軍でしたが
被害は 全体の九割以上と見られており。
三万人近い蒙古軍が捕虜になりました。
文永十一年に四万人近い軍団で襲来し
対馬や壱岐で残虐の限りを尽くした蒙古軍は
撤退の途中、台風の暴風に見舞われ甚大な被害を受けました。
今回は前回の失敗を踏まえ
高麗や旧南宋軍を合わせた大軍での
侵攻となりましたが、
寄り合い所帯だったことで士気が上がらなかったと
伝わるだけでなく
未明にまたも台風の襲来を受けて、
対策を取っていた一部以外は全滅しました。
勝利の報告を受けて執権 北条時宗氏は
「まずはよかった。だが恩賞をどうするかが課題だ」と
表情を崩しませんでした。
(了)