名前の話

 最近の芸名にはカタカナが多いですね。

ゴリ、コロッケはまあ普通で、オダギリジョー、リリー・フランキー、ガダルカナル・タカ、マキタスポーツ…。

きゃりーぱみゅぱみゅさんが登場した時は、ひそかに読む練習をしていたアナウンサーもいるのではないでしょうか。

一方で私がコドモのころ一番驚いたのは「藤原釜足(フジワラカマタリ)」という役者が存在していたこと。

そのころ、私の知識にやっと登場した「藤原鎌足(フジワラノカマタリ」といえば、大化の改新の中心メンバーの一人で藤原家の始祖。いまたくさんいる「藤」がつく名字の出自も、『安藤』さんなら「安房守の藤原」、『伊藤』さんなら「伊勢守の藤原」のように、元が藤原氏なんだそうです。

一方、「藤原釜足」さんは、黒沢作品に欠かせない名優。渋い刑事役なんかもはまってました。

ただ、コドモのころの私には、大化の改新の「カマタリ」と俳優の「カマタリ」がかぶってしまい、どうしても「フジワラノカマタリ」と聞くと、ホンモノにあったことがないだけに、俳優さんの顔しかイメージできないのです。

一方、歴史上の人物である「カマタリ」や中大兄の敵方になるのが、蘇我蝦夷(そがのえみし)、蘇我入鹿(そがのいるか)親子。蝦夷の親父にあたる「蘇我馬子」以来、「馬」「エビ」「イルカ」と生き物の名前が続いています。

奥富敬之さんの「日本人の名前の歴史」によると、大和時代(古墳時代)の名前には、こういう生き物の名前が多かったそうで、馬子の「ウマ」だけでなく、ネズミやサル、シカやウシなどが“人気”だったようです。

なぜ動物を名前を付けたかについて奥富さんは「生命力への憧れ」や神秘性だとおっしゃっています。

沖縄でも、昔のオジイ、オバアの名前には「ウシ」さんや「カメ」さんがいました。これは本土と同じです。ただ、沖縄では「カマド」さんがいる。これは「竈」に対する信仰や大切なものという意識があるのでしょう。

「改姓」ということばがあります。苗字が変わるんですね。沖縄から本土に移り住み、様々な理由で苗字が変わった方はたくさんいます。「比嘉」さんが「日賀」さんになったりしました。

また沖縄戦で戸籍が消失してしまい、比嘉さんが多くの本土系苗字に変わったりしました。

読み方も「ウフグシク」さんから「オオシロ」さんに変わったりしたわけですが、こうした名前の「変更」は近代になってからのことではなく、薩摩の琉球侵攻があったあと、「ヤマトメキタル」名前は変えろというので、“家名”の船越が「冨名腰」に、「前田」が「真栄田」に変えさせられたりしていました。

といってもそれは士階級の話。沖縄では庶民には苗字は与えられませんでした。だから「屋号」明治になって庶民にも苗字が許されると、地名などから苗字をつけたわけです。

とはいえ、地名で名前を付けるとどういうことが起こるか。その辺一帯みんな「同姓」になってしまいます。一族が固まって住めばさらに集中度は増します。

以前、石川高校の甲子園取材で、学校に行ったとき、「山城くーん!」と呼んだら5人くらいこっちを向く。「仲間くーん!」と声を掛けたら、6人くらいから返事が返ってくるので驚愕したことがあります。

こうした中でそれぞれの家族や個人を識別するのに編み出されたのが「屋号(ヤーンナー)」です。その家が建っている場所、戸主の職業、見た目、姓に次男とか三男とかをつけたもの…様々ですけど、「とぅーたんやー」は驚きました。ようするに「トタン屋根の家」ですよね。そう呼ばれた時は目新しかったのでしょうが、たぶん今では「トタン屋根」ではないと思います。

一方、本土でも基本、庶民には姓はありませんでした。しかし、庶民もホントウのところ苗字を持っていたようなんですね(前出「日本人の名前の歴史」)。でも建前上、「姓」は支配層の特権になっていたから、公の場所では「ないこと」になっていたらしいです。だから、庶民は「焼津の半次」だったり「三輪の万七」だったり、「成宗村与兵衛」みたいに、ヤーンナー的呼び方をされていたんですね。

ちなみに、はるか昔、「改姓」は罰でした。和気清麻呂という人は、道鏡事件といわれる騒動のとき、称徳天皇が思っていた答えをしなかったからと「和気」を「別部」に、「清麻呂」は「穢麻呂(きたなまろ)」に変えられました。今だったらコドモがやりそうな話です。

2021-02-04 | Posted in UncategorizedNo Comments » 

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