永遠の「零(レイ)」

「0」は発明品らしいですね。

 古代の数学には「0」はなかったそうです。ないものは数えないし、「なにもない」ということはあり得ないという考え方だったからです。最近のダークマター(暗黒物質)の話などを読んでいると、実はそう言い切ったアリストテレスのほうが正しかったのではないかと思えてきます。

 とはいえ、やがて人類は「0」がないとうまくいかないことがあるのに気が付きました。しかし、「0」で表記するようになったのは賢明だったと思います。

 日本では「0」のことを「零(れい)」と書きます。雨カンムリです。漢字そのものの意味は、「神様の意にかなって雨がおもむろに降ってくる」ことなんだそうです。本来この字には「静かに降る雨」「雨だれ」という意味があります。微細な…という意味もあって、だから「零細企業」なのです。

大修館書店のHPにある「漢字Q&A」によると。もともとの意味が、屋根から雨だれが「こぼれる」「したたる」という意味に変化し、「こぼれたもの」「あまり」という意味でも使われるようになり、「端数」を表すようになり、「ごく小さな数」を示すようになり、到達したのが「何もない数」という意味だったとしています。だから、“何にもないはずなのに”「雨」だけ残った。相当強引な展開でゼロを示す「零」は生まれたようです。

 ところで、「れい」と読むか「ゼロ」と読むか。結構迷うことがあります。

 例えば、「可能性は…ではない」のときの「0」は、「ゼロ」であって、「れい」とは言いません。一方、天気予報の降水確率「0」%は「れいパーセント」で「ゼロパーセント」とは言いません。とんなに間違えても「ゼロ点」にはならず「れい点」です。

それが「0」であることを強調するときは「れい」というよりは「ゼロ」と言ったほうが強く響く。そういう意味で「ゼロ」が使われていることも多いのではないでしょうか。

 ちなみにゼロ戦は本来「零式艦上戦闘機」です。皇紀2600年(昭和15年)に採用されたからです。でも「ゼロ戦」と呼ばれたのは、英語でそう読んでいたからではなく、敵性語だからと、ストライクを「よし一本!」とまで無理クリ訳した日本でも、ゼロ戦は「ゼロ戦」と読んでいたようです。

 そう考えると、「0」はやはり侵すべからざる神域なのかもしれません。

2021-01-26 | Posted in UncategorizedNo Comments » 

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