けいえん
「ハッカー」はいつから“犯罪者”というニュアンスでとらえられるようになったのでしょうか。
本来は、「コンピューター関連に関する知識が深い人」という意味だったはずですが、私がパーソナルコンピューターに触れるようになった時にはすでに「覗く」とか「盗み取る」という意味で使われていたように思います。今は、盗む方のことは「クラッカー」と呼ぶようになってるのですが、完全に定着したとは言えません。
いつから「クラッカー」が現れたかというと、「コンピューターネットワークがつながった日から…」なんだそうです。もれなく付いてきた不必要なオマケということでしょうか。
時代が過ぎたら意味が違ってしまったものはほかにもたくさんあります。
「姑息」という言葉はその代表です。辞書を引くと、姑息は「『一時しのぎ』の意だが、近年、卑怯なさまの意で用いられることがある」とあります。実際調査をしたら、7割の人が「姑息」を「卑怯」とか「正々堂々としていない」という意味で使っていたそうです。そのうち残る残る3割も飲み込まれてしまうかもしれません。
野球で「意図的に四球を与えてそのバッターとの勝負を避けること」を「敬遠」と言います。今や申告すれば「四球」ではなく「一球」で済むようになっていますが、この「敬遠」は本来全く違う意味でした。
「敬遠」は論語の「敬鬼神而遠之(鬼神を敬して之を遠ざく)」からきています。論語は孔子とその弟子の行いや発言をまとめたもの。言い換えれば、孔子と言えば道徳そのものみたいなものです。もちろん本人もそうあろうとしていました。
ところが大きな壁がありました。孔子はその出自が「野合」の子。今の時代であっても高齢と言っていい「父」と16歳の巫女であった「母」の間に、ルールに則らずに生まれたんだそうです。無論、戸籍謄本など残っていませんから本当のところはわかりませんが、誰からも認められて生まれた存在ではなかったようです。それを孔子はずっと引きずっていた。そこで、「親」と「道徳」との関係を断ち切ってしまいました。
「そこは関係ない。でも自分だけは正しい」というわけです。
弟子から「人間の英知ってなんですか?」と聞かれた孔子さまは、「自分のやるべきことだけに頑張り、鬼(人間の霊魂)や神(超越者)は敬うことは敬うけれども、ちょっと遠ざけておく。それが英知といえるんじゃないのかな」と答えたそうです。
平たく言えば、神頼みしないで自ら切り開いていくことが「敬遠」。勝負を避けて“いけそうな”相手とだけ勝負することではないわけです。