出世ヒト
よくクイズ番組に出てくる「出世魚」。
代表格がブリです。地域によって違いがありますが、関東の場合小さい方から、ワカシ、イナダ、ワラサ、ブリと名前が変わります。
他にも、スズキは、コッパ セイゴ、フッコ、スズキ オオタロウ。
ボラは、イナ、ボラ、トド。
すしネタのコノシロは、シンコ コハダ ナカズミ コノシロ、と変わるそうです。「だそうです」というのは、あったことのないヤツが結構いるからです。
例えば、コハダ、コノシロにはすし屋であったことがあるけど、シンコはまだありません。ちなみにシンコは小さいけど、かなり高価だそうです。ほかにもスズキよりでかいオオタロウにもあったことはありません。スズキとかオオタロウとか、ほとんどヒトの名前で、「誰のことだ」と聞き返されそうです。
実はニンゲンでもかつては武士や貴族には、コドモのころ別の名前がありました。
有名なところでは、源義経が子供のころ「牛若丸」だったとか、勝海舟が「麟太郎」だったというのは聞いたことがあるのではないでしょうか。いわゆる「幼名」で、元服するまでこの名前を使います。昔の元服は中学生くらいの年齢ですから、10数年間その名前で呼ばれるということですね。
西郷隆盛は「小吉」、上杉謙信は「虎千代」、織田信長は「吉法師」。
最近もクイズ番組に取り上げられていたのが、信長の息子たちの幼名。長男信忠は「奇妙丸」。
三男とされる信雄は「茶筅丸」。八男信吉は「酌」。九男の信貞に至っては「人」です。周囲も何と呼んでいいか困ったのではないでしょうか。
ちなみに“奇妙丸”は本能寺の変で信長とともに光秀に滅ぼされ、“酌”は秀吉の庇護を受け
関が原では西軍に与して敗北、一緒に戦った長次(幼名・縁)は、生に縁なく戦死しましたが“酌”は逃げのび、剃髪して静かに京都でなくなりました。晩年は一人酒を飲み、良き時代をしのんでいたのかもしれません。
そして“人”さんですが、信貞(幼名・人)も関が原で西軍に属し、その後信長の血筋だからということで、吉良家と同じように高家(旗本)となりました。今でいえば大企業の縁故採用のようなものでしょうか。天童藩・織田家もそうですが、信長のネームバリューと、子供が多かったことで、織田の血筋は今に伝わっています。スケートの信成クンもその一人らしいですね。
沖縄でも名前が一つでない習慣はあります。
王府時代の資料を見ていると、おなじ人物に二つの名前が出てきます。蔡温だったら、具志頭親方文若という別名です。「親方(うぇーかた)」は官位を表すもの。本土の史書には具志頭親方文若という名前しか出てきません。信長のように
歴史研究家の上里隆史さんによると、こうした名前も近世(江戸時代)になってからなんだそうで、それ以前「名字も蔡温のような中国名もなかった」んだそうで、下のナマエしかなかったんだそうです。
沖縄の童名(わらびなー)は、「幼名」とは違いニュアンスとしては通称。信長が子供たちに変わった名前を付けるように、親が付けられるのではなく、受け継がれるとものですよね。これについては尚家の直系である尚衞(しょう まもる)さんが書いておられますので、ぜひ読んでみてください。https://www.okinawa41.go.jp/reports/20200625_sho/