ぼく的

 「わたし的にはそれで大丈夫です」

 こういう言い方が当たり前になってきたました。

 それは本来の使い方じゃないよ…と指摘すると、「そうなんですか?」と返ってくることが多いので、もう根付きかけているんだと思います。

 最初は「私立」を「わたくしりつ」というのと同じところから始まったのではないかと思っています。本来、「私立」も「市立」も読みは同じく「しりつ」です。紙に書いてある分には見てわかるのですが、耳から聞くとどちらも「しりつ」で同じです。意味するところは、全く違います。方や「個人や民間団体が運営、経営する」もので、もう一方は、「自治体が運営」するものです。そこでわかりやすいように、個人や民間団体が運営するものは「わたくしりつ」。自治体運営のものは「いちりつ」というようになりました。ですから正式にはどちらも「しりつ」です。甲子園大会の入場行進の時も「市立」高校を「いちりつ」とは言っていないと思います。

 「わたし的」も、「私的」を故意か誤読か「わたしてき」と読んだところから始まったのではないかと思っています。なんとなくゴロがよかったので周囲に「伝染」したのではないでしょうか。「ぼく的」も含めて、今使われているのは「自分としては」という意味ですから、「してき」と読む「私的」とはだいぶ違います。

 「ボク的」「ワタシ的」は、新しく出てきた表現ですが、根っこにあるのは日本独特の「直接かかわるのを避ける」「断定を避ける」言い方でしょう。  この「的」は増殖して「天気的には」「気持ち的には」など、暴走の気配が見られます。本来「的」は接尾語で、傾向や性質があることを表すもので、「実質的」「頭脳的」などと使います。一人称につくのは普通に考えてもヘンです。

2021-04-11 | Posted in UncategorizedNo Comments » 

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