日本語と飛沫
井上栄さんが書いた「感染症」(中公新書)の増補版を読んだ。
井上さんは東大医学部の博士課程を修了後、予防衛生分野で活躍、国立感染症研究所の感染症情報センター長をされた方である。
3年前に閣議決定された「観光立国推進基本計画」。
国内旅行消費額を21兆円に!日本を訪れる外国人旅行者を4,000万人に!その人たちの旅行消費額を8兆円に!という大目標だったが、コロナ禍で五つの輪も来年に運ばれ、目標もどこかへ行ってしまった。
そもそも温暖化がここまで進んでしまった地球では、いつ新たな見えない敵と対峙しなければならないかわからない。(ビートたけし師匠も同じことを言っていた)PCR検査体を含め、そのための準備ができていなかったことは衝撃だった。いまからでも遅くない(と思いたい)。日本版CDCを作って、守備固めをしてほしい。
毎日テレビを見ていて「専門家」の存在の大きさをつくづく感じるとともに、「専門」であってもコトバを持っていないとダメなんだなあと思う。文字にはない伝える力がコトバにはある。さらに伝え手の魂が加わるともっと響く。今回は足りなかったコトバが「命」につながってしまった。本当に残念だし、悔しい限りだ。
そこで井上さんの「感染症」に戻る。読んでいて驚いたのが飛沫感染の起こりにくさに「日本語の発音」が関係しているのではないかと井上センセーは仮説を立てる。
日本語は「飛沫の飛ぶ距離が短い」というのである。
英語や中国語には(p)(t)(k)などの破裂音のあとに母音が来て激しく息が出される「有気音」がある。《中国語には(q)(c)(ch)も加わる》ところが日本語の場合p・t・kは息を出さない無気音として発音されるし、それ以前に(p)音は時代とともになくなっていき、外来語か擬音くらいである。井上センセーはSARSがまた来るか!という時期にこの仮説を出し、外国の雑誌にそれが掲載されて「世界中が日本語を使えばSARS問題はなくなる」と茶化されたのを“楽しんでいた”のだそうである。
でも井上センセーは、この「仮説」をかなり押しておられる。今回のコロナでも中国で2メートルルールを…と言われたが、「日本語の世界では1メートル・ルールでよいだろう」とされている。無論、酔って居酒屋で出す声の場合は別のルールが必要だが。
紫外線の強くなる時期、一時コロナが終息しても、また秋冬に第二波が来るかもしれないという。ウィルスも大人しくなるように「日本人」も静かにしゃべるようにしてみるか。