グルメなことば
グルメものとアニマルものをつくれば視聴率が取れるという。
テレビの画面には様々な料理(新型コロナ感染症で「デリバリー」とか「弁当」に変わったが)が溢れている。
食リポを見ていると、「味」の表現って難しいんだなってつくづく感じさせられる。
「おいしい」というのは「いしい」に接頭音の「お」が付いた形容詞である。「美しい」と書く。好ましいという意味だが、そこに「味が良い」という意味が加わる。
もう一つ「うまい」という表現がある。最近は若い女性のリポーターでも食リポで「うま」とか「うまい」と普通に言う。「おいしい」に比べると、雑な表現である。ただ「うまい」と簡単に言うのはあまりウマくない。「うまい」は漢字で書くと「上手い」「巧い」「旨い」「美い」「甘い」「美味い」とたくさんある。
「上手い」と「巧い」は技術的に優れているという意味であって、味覚とは違う。「旨い」「美い」「甘い」「美味い」が味覚の上で「おいしい」という意味なのである。ではどうして「甘い」を「うまい」と読むのか。昔は「あまい」ことが「味がよい」ことの代表だったというのである。
全国和菓子協会のホームページに「和菓子の歴史」が載っている。甘い「おかし」を「菓子」と書くのも、古代にさかのぼるという。「古代人は、空腹を感じると野生の「古能美」(木の実)や「久多毛能」(果物)を採って食べていました。この間食が「果子」と呼ばれるものになった(全国和菓子協会HPより」と考えられていて、古代「甘味」は貴重なものだったのである。
貴重なものであればあるほど皆欲しがる。やがてでんぷんを糖に変えた「飴」が生まれ、ツタの汁を煮詰めた“あまい”シロップが誕生した。
そして8世紀の半ばに砂糖が日本に入ってくる。
栄西が茶を持ち込み、それに合わせて菓子が発展し、時代が下ると、コンペイトウに代表される欧州由来の菓子も入ってきた。とはいえ庶民にとって「あまい」お菓子は縁遠いものであった。戦乱続きだったからそんな「あまい」ことは言っていられなかったのである。庶民が「あまい」ものを享受できるようになったのは太平の世となった江戸時代になってかららしい。
「あまい」ことは日本人の憧れであり続けたのである。だから「甘い」は「うまい」なのだ。
「うま味」という言葉がある。正確に言うと「グルタミン酸、アスパラギン酸などのアミノ酸、核酸構成物質のヌクレオチドであるイノシン酸、グアニル酸、キサンチル酸など、その他の有機酸であるコハク酸やがその塩類などによって生じる味の名前」だそうだ。
「うま味」を発見したのは、戦前の化学者・池田菊苗である。この人が今当たり前に使っている「うま味調味料」を見つけた人で、明治40年に、味覚には「酸味」「甘味」「塩味」「苦味」に加えて「うま味」が存在すると提唱し、昆布の「うま味」成分が「グルタミン酸」であることを発見。その成分が「L-グルタミン酸ナトリウム」であることを解明した。
ちなみにいま「化学調味料」という言葉は存在しない。使ってはいけない言葉である。
いまやインスタント食品の「味」はアミノ酸の混合比率などで決まってくるという。スゴイ話である。
ちなみに昔、ビールの番組を作ったときに「のど越し」という業界用語をどう表現したらいいかという話になった。いろいろな人に聞いたが、どうも腑に落ちない。「のど越し」は「のど越し」以外の何物でもないということになった。
さて、かほど「うまい」ことにうるさい日本人であるが、「からい」ことにはテキトーである。「塩辛い」のも「ピリ辛い」のも「超絶辛い」のも同じ「からい」なのである。一応塩辛いの方は「鹹い」と書くが、あまりお見受けしない。英語ではスパイスが効いて「からい」のは「hot;」であり「spicy」、塩辛いのは「salty」と発音も言葉も違う。辛口の酒は「dry」である。そもそも日本で酒が「からい」と表現し、英語で「dry」というのは、作っている酒の種類の違いであろうか。