フラーの末裔
バックミンスター・フラーというアメリカ人がいる、いまは当たり前になった室内のドーム球場だが、最初に構想し、設計。建築にあたったのが、このBフラーである。フラーは沖縄の言葉でバカとかアホとかいうニュアンスになるが、間違ってもフラー(頭高)のことをフラー(尾高)と呼んではいけない。(一応アクセントに差はある)
たまたま外国人の名前が日本語であまりよろしくない言葉と同じであったりすることがある。
その昔、種目は忘れたが男性の陸上競技に「ブスマン」という選手が出ていた。すると実況アナが名前をコールしたあと
「女性じゃなくてよかったです」
これは明らかに蛇足であった。ヘビにも申し訳ないので「ミミズ足」であった。その時の競技結果とか種目とかは記憶から消えていったが、その部分だけが切り取られて名前とともに脳裏に残っている。
大抵、コゴモがオトナのことばを覚える場合、悪い言葉から先に覚える。コドモのことば遊びの最初にはそういう部分もあって、やがて「傷つけている」ことばなのだと知り、その刃物を懐にしまい込む。汚い言葉も同じである。子供に「ウンコ」というと、以上にはしゃいで喜んだりする。最近の「ウンコドリル」の大成功も納得できるのである。小学校を卒業した時に友人たちに書いてもらったサイン帳が今でも残っているが、いたるところに「ウンコ」の絵が描いてある。いい大人になって上司へのメモにそんな絵を描き残していったら、持っていたウンも昇進の可能性も消えてしまうだろう。
東地区代表「バカ」。西地区代表「アホ」中部地区代表「たわけ」沖縄地区代表「フラー」。どれが一番インパクトが強いだろうか。
関東人が「バカ!」と言われた時と「アホ!」と言われた時では、受け取り方が違うだろう。「アホ」のほうが救いを感じるのである。「バカ」といわれると壁を背にしているような気がする。逃げ場がないのである。「たわけ!」もバカ者とか愚か者というニュアンスだが、名古屋近辺で言われるのと、沖縄で言われるのとでは意味が何となく分かっても伝わり方が違う。学生時代を愛知県で過ごした高校野球の名伯楽・故栽弘義さんはグラウンドで選手がへまをすると、よく大きな声で「たわけ!」と叫んでいたが、あれはどこまで響いたのだろう。
「フラー」にしても使うときのニュアンスでずいぶん違う。「フリムン!(愚か者)」と言われても、へらへらできる気がする。「フリムン」は「狂(ふ)れ者」が転訛したというから、「フラー」も同じ流れなのだと思う。「フラー」「フリムン」ときて、最上級(最下級)に「ゲレン」がある。「バカ、近くづくな」的ニュアンスである。こんな言葉は公に使わないほうがいい。使うとコドモが最初に吸収するからである。
ワタシが沖縄に赴任した時、ワルイ先輩が、「重役にあいさつに行くのなら、エーヒャー常務、ヌガヒャー常務とあいさつしなさい」と言われた。「フラー」よりは多少ましとはいえ、直訳することはしない。新入社員のワタシは先輩のことばに忠実すぎた。丁寧に頭を下げたあとそれをいったのだが、結果として「誰に習った」と微妙な笑顔で返された。
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落語の世界で、その人が存在するだけで出てき可笑しさがこみあげてくるような独特の雰囲気を持っていることを「フラ」があるという。作った可笑しさではなく、可笑しさを身にまとっているのである。舞台に出てきたその瞬間からもう可笑しいのである。
最近いい意味でもそうでない意味でもみんなマジメである。こんな時だからこそ「フラ」があると思える可愛い「フラー」にでてきてほしいと思う。